2024年6月 JR四国・JR西日本 津山線・姫新線・芸備線の旅② 津山線をゆく

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岡山駅に着きました。乗り継ぎは6分で、ホームは9番線ですぐ横です。ここで、私の弱点である頻尿を考えた時にトイレに行くべきかどうかしばし思案をします。新幹線の駅のホーム近くの便所まで行き、用を足しても恐らくは間に合います。しかし、便所が予想外に並んでいたとか、何か突発的なことがあっては・・・。しかし、尿意を我慢してする旅は地獄で全然楽しくないし・・・。と目まぐるしい選択を迫られます。

結局は、列車内にもトイレは有るだろうからそのまま津山行にフェードインしました。

燃える男の真っ赤なキハ47です。

いざ、参らん。

ワンマン列車で、駅員がいる駅以外は1両目の後ろ乗り前降りのようです。私は2両目に乗り込みましたが、ボックスシートに1人づつで2/3程度埋まるくらいの乗車率です。私もボックスシートに乗り込みますが、今どきの車両と比べるとボックスシートが若干狭い気がします。四国はディーゼル王国と言われながら、高徳線(特に高松市)でもあまりキハ47,40は見かけないし実際乗ることも無かったので新鮮です。

後部に広いスペースがあります。

そうこうするうちに岡山駅を発車します。スーパーいなばに乗車したときにも思いましたが、本州の運転士のかたは、ゆっくりエレガントな感じです。土地が広くて平坦なことは、やはり鉄道にとっては素敵なことなのだなと思うことがよくあります。

JR西日本に乗っているという感慨もひとしおです。

風景は、おおよそ想像通りです。車で旭川沿いの県道を走ったときと同じで、懐かしい感じがします。

みどりの中を駆け抜けます。

津山線と言えば、私が岡山に勤務していた頃だと思いますが豪雨か何かで何度か不通になって、何年か復旧できていなかった記憶があります。県北の山の木が倒れまくっていたのを、テレビで見ていたのを思い出しました。ネットで調べると、2005年は落石の影響ということですが、その後も豪雨で影響を受けたりと山間部を通る鉄道の宿命を負っている路線なのでしょう。

路線沿いにユニークな地名等があり、印象に残っているものの1つが福渡駅です。福が渡る、なんて素敵な地名。話は変わりますが、苗字に神が入るのもすごく素敵で憧れます。「明神」「山神」「田母神」など、とにかく神々しく福々しくて羨ましい。

列車交換でふくわたり駅に停車。思わず、撮影をしました。

それにしても、JR四国ではキハ40・47は燃費が悪く環境問題も良くないからハイブリッドにするって言っているのに、「快速・ことぶき」ってまだまだ現役感をバリバリ出してて不思議です。経営基盤で言えば、雲泥の差のはずなのに。そこらへんは、詳しくないので素人の戯言ということで、いったん終了。

次は誕生寺。

ここは、皆さん大好き「敦盛」で謡われる、黒谷に住み給ふ法然上人の生まれ故郷です。黒谷とは今の、くろ谷金戎光明寺のことです。ここは、五劫思惟阿弥陀仏、通称パンチパーマー阿弥陀如来で有名です。

落語の寿限無の五劫の擦り切れ、の五劫です。年数換算すると約43億年です。人民を救うために螺髪がチリチリになるまで考え続けていただいた、ありがたい仏さまです。京都に行く折にはぜひともお参りください。それと金戎光明寺は幕末、京都守護職本陣でした。徳川家が薩長に攻められる中、会津藩主松平容保は本家の盾になる家訓に順じて、京都守護職という火中の栗を拾ったのですが・・・。なかなかグッとくる話なので、ご興味があれば司馬遼太郎「王城の護衛者」を読んでください。

法然上人は岡山出身ということですが、、岡山選出の国会議員の小野田紀美さんのように「じゃろう」と岡山弁を使っていたのだろうかと、徒然に妄想が膨らみます。小野田議員は自称「ハーフ議員」、アメリカ人のようなお顔で舌鋒するどい若手議員なのですが、時たま出る岡山弁に親近感を覚えています。

次は亀の甲駅です。子供が小さかった時に、ずいぶんファニーな駅で子供たちと写真を撮った記憶があります。どうだったかなあ?と思い出しているうちに、亀の甲駅通過。駅に亀の顔がついた駅でしたが、カメラの用意が追い付かず。残念。

そうこうしているうちに、津山駅に到着。思った以上に古めかしく、昭和な感じでした。

ソーナイス。そう、心の中でつぶやいて姫新線に乗り込みました。

その③に続く。

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この記事を書いた人

オーバー50の四国在住のおっさんです。
愛機オリンパス OM-D E-M5 MarkⅢで
土讃線の鉄道風景をメインにJR四国の鉄道風景を撮影します。

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