日本酒を呑んだので激しい喉の渇きで、4時過ぎに目が覚めます。水をがぶ飲みして、TVをつけてウトウトします。喫煙者ならここで一服ということでしょうが、私はタバコは吸いませんのでお風呂に入ることにします。

少し前にホテルニュージャパンの火事の復元ドラマみたいなのを見ましたが、酔っ払った外国人がタバコを吸いながら寝てしまって引火したとか、しないとか。昔はそんなの当たり前だけど、今から考えると喫煙は自己責任がかなり重い行為です。

朝7時過ぎの列車を逃すと山陰本線完乗旅が絶望的になるので、満を持してチェックアウトをします。お部屋やロビーにロック調の飾りやポスターなどを貼っているところを見ると、オーナーは相当なロック好きのようです。

カギはフロントに置いていくスタイルなのでボックスに返却して階段を下ります。どうやら今は閉店していますが、同じビル内に素敵な大人社交場がかつてはあったようです。残念ながらもう来ることできなさそうなので、益田レディーと一度はお話をしてみたかったと名残惜しい気持ちで駅に向かいます。

スッキリした駅前です。

益田の風景を網膜に焼き付けます。

2分で駅に到着です。大きな荷物をもった中学らしき一行と出くわします。これから何かしらの競技の試合に行くような感じです。引率の先生と山口方面の列車に乗って行きました。

朝だというのに列車が全然来ません。高徳線も大概だと思いますが、朝はかなりの頻度で列車が走りますが各方面に1本づつ発車すればつぎは2時間後という感じです。コンビニが7時半に空いたのでお土産と、サンドイッチを買ってホームに向かいます。

島根もずいぶん広い県でした。松江のほうと比べると何か違う県に来たような印象です。

これに乗って行くようです。

山口行きのホームの様子です。

時間があるのでホームをブラブラします。そうこうしていると、山口線方面の列車が出発します。
こちらの列車ももうすぐ発車の様なので乗り込みます。

益田から乗ったのは私と、お孫さんを連れた女性、それと私より少し年配の男性くらいだったと思います。

後付けのワンマン仕様なので、なにやらゴチャゴチャしています。

また来ることはあるのだろうかと、万感の思いに浸っていると出発です。
自分のイメージでは益田駅は海岸から少し南方面に入っていると勝手に思っていたので、来た方向に逆戻りして分岐するようなイメージを脳内に持っていましたが山口線と同じ方向に進み分岐をします。

山口線との分岐をGPSでも堪能します。

高徳線を走るキハとは違い、かなりの加速感があります。

朝の車窓を楽します。

穏やかな日本海が見えます。

乗車と言えば、途中中学生のグループ男女4人が乗ってきてワイワイやっています。

列車交換もします。イメージでは休日なので、萩観光の乗車がかなりあるのかと思いましたが全然です。基本、沿線の学生の足というミッションをなんとかこなしているという印象です。芸備線もかなりのものでしたが、こちらも災害があっても復旧が進まない理由がなんとなく分かります。JR西日本が沿線住民に抜本的な・・・というくだりで対話をするもの分からなくもないと正直思います。人口ボーナスから、オーナスに移行した日本では鉄道だけではなく社会インフラの在り方が問われています。これは、10年後、20年後の我々の住む町の姿だと理解ししっかり考えて行かなければならないと改めて思います。

世界最短の駅名「ii」だそうです。このあたりはかなり風光明媚な車窓でした。

このあと西萩、萩でさらに乗車客が減ります。中学生は楽しそうに降りて行きます。それにしても、戦国時代・中国の覇者毛利はこれほどの遠方に国替えさせられたのは驚きです。現在でさえ移動が困難な土地なので、往時の長州侍の気持ちは如何ばかりかと思います。毛利の正月儀式では「今年は徳川を討ちにいきますか」と殿さまに聞くのが通例だったとか、そうではないとか。関ケ原以降の屈辱、恨みをずっと持ち続けていたというエピソードのようです。
山、田、海、そいて萩の街並みなど堪能しているとそろそろ長門市駅に到着です。
つぎに続く。
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