ここからは鶉野飛行場の跡地を辿りながら帰る算段です。四国にも戦争遺跡は点在しており、紫電改と言えば南宇和に展示館があり以前妻と行ったことがあります。我々が思い描く戦闘機というと、それはそれは質実剛健な造りだと思うのですがそこにあった紫電改はペラペラのボディーの張りぼてのような機体でした。これに、自分の息子が乗って出撃したかと思うとあまりにも不憫で涙が出そうになったことを覚えています。戦争を賛美する訳でも、特段なミリタリーファンでもありません。私が戦争遺跡に行くのは、物言わぬ建物やその場所は時代を経てもそこに存在し続けます。人の世ははかない、名もなき先人が家族や子々孫々のことを思い止むにやまれずはかない命を賭して戦ったこと、その上に我々の今があることを忘れてはならない、その確認できる場所がまさにそいう遺跡だろうと思うからです。

道すがら掩体壕あとがあります。四国ではコンクリート造りで、機体を格納できるものが残っていますがこちらは土手のように機体を囲んで上に草などをのせてカモフラージュする様式のようです。このあとsoraかさいという、当時の飛行場の様子や紫電改の原寸のレプリカを置いている施設に行きますが、何やら当時の搭乗員を模した格好のおじさんたちが居たのですが、なぜか居心地が悪くて即時撤退しました。

飛行場の周りはおそらく幾重にも地下壕が張り巡らされていたのでしょう。ここは地下の倉庫の様です。すぐ前は牛の牧場ですが、どうやら神戸大学の農場の様です。軍隊が出来れば物資の輸送に鉄道が出来る、戦争が終わってキャンパスの確保となるとまとまった面積の軍隊跡地、おまけに鉄道もあって交通アクセスも最高となるパターンのようです。岡山大学もまさにそれで、キャンパス内に旧日本軍の施設があったり最寄りの法界院駅は軍のために駅の場所が変わったという典型的な例だと思われます。コンクリートで固められた施設の上に、灯籠を置いていたり生活に溶け込んでいるのが見て取れます。高知空港の掩体壕などは農機具置き場になっていました。

ここも地下壕の入り口の様です。閑散期に補強工事をするようで、立ち入り禁止でした。

高知空港で見られるような蒲鉾型の掩体壕の様です。ここらへんが滑走路だったのでしょう。

ここが部隊の入り口だったようで、この門はレプリカの様です。ここでは激戦は無かったようですが、これからも牛がのどかに草を食べていられるような世の中であって欲しいとつくづく思いながら高松方面に車を走らせます。

飛行場から10分程度走ると、お目当ての酒蔵に辿りつきます。相当に立派な酒蔵です。

何となく倉敷美観地区の大原家旧宅を髣髴とさせます。

貴重なコメを酒にしていたくらいなので、おそらくは庄屋さんだったのではないでしょうか。奥にショップがあるというので歩いて行きます。

冨久錦さんという酒蔵です。不勉強で全く知りませんでしたが、周りには酒蔵しかないのに次から次へと車がやってきます。

中は酒だけではなく、播州の土産物など充実していました。どうもワイングラスで飲むような、フルーティーな日本酒が評判の酒蔵のようです。日本酒独特のアルコール臭さが鼻について、どうにも飲みにくものもある反面、これが日本酒か?ともの足りないものもあったり。ビールに比べて、日本酒は食べ物や飲み方によっては季節を選ぶのも正直なところだと思います。この時期は味噌味や海鮮の鍋と、熱燗などは非常に親和性が高いと思います。牡蠣の土手鍋とかいいと思います。
その後、純米酒の4合瓶を買って帰り、ふるさと納税で調達したカニを鍋にして日本酒で乾杯と洒落こみました。日本酒のほうは冷で飲みましたが、味はスッキリしていて気がつくと3合くらいは飲んでいたようです。
正月から食べ疲れ、飲み疲れなので明日は禁酒かなと思いながら寝床に向かいます。酒の飲みすぎ、食べ過ぎによる肥満など、決して健康的で万全な体調では無いのだけれど、キリキリせずこれからも妻や体調と仲良く折り合いをつけながら緩く生きていけたら最高な人生だな、と思いながらふらふらと寝床に向かいました。ほろ酔いと、運転による疲れを感じながらすぐに眠りにつきました。
なにはともあれ、今日という1日があることに感謝して生きて行こうと思います。
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