先週ですが妻の実家の高知県の大豊町に行ってまいりました。土曜日の夕方に香川県を出ましたので、鉄道撮影はできず翌日の日曜日にどうしようかと早々と寝床に入って考えておりました。
どうやら天気が悪そうなのと、まだまだ「しまんと」2号が大田口駅を通過する5時半過ぎには真っ暗なのでどのタイミングで行くのかを考えようと思っていたのですがお酒を飲んでいるのですっかりと寝てしまいました。早朝、4時過ぎに誰か女性に「お父さん」と呼ばれた気がして目が覚めます。横の部屋で寝ていた嫁を見てみますが、嫁が何かを言ったような感じもありません。娘に何かあったのか?とLINEを送ってみますが、なんの反応もありません。まあ、ウトウトしてたから夢でも見たのだろうと思います。

耳を澄ませば吉野川沿いの下の方で列車の音がしています。列車の位置情報を見ると回送列車が通過したようです。高徳線でも毎朝5時前後に回送列車が走っていますので、いつもの車両の送り込みなのでしょう。おそらく池田方面から土佐山田方面に行く普通列車ではないかと勝手に想像します。
二度寝してしまい6時くらいに再度目が覚めます。南風2号が6時半過ぎに大田口駅を通過しますが、まだ外も暗いのでまたゴロゴロしているうちに寝てしまい気がつくと8時になっています。朝ご飯を食べてようやく出撃体制に入ります。

外は写真以上にモヤがかかっていました。9時半前後に南風が大田口駅付近を通過するのを撮影に行きます。

動画も撮影しようと、三脚とスマホホルダーを載せていたつもりがスマホホルダーを忘れてしまい動画はここでは撮影できず。想定外にあたふたしながらなんとか撮影します。

梶が森もモヤがかかっています。山間の駅の朝です。

すぐさま下りの南風がやってきます。

高知方面に走り去ります。

とりあえず大杉方面に向かうこととします。

駅舎がキレイに無くなりました。義母に「大田口駅に行ってきます」と告げると「もう、駅は無いけどね」と自虐で返されました。
この奥に見える緑の屋根が喫茶店です。おそらくこの店で火野正平さんが焼うどんを食べたのではないでしょうか?今は寂れていますが、木材の集積地として往時は映画館もこの近くにあったそうです。おじいさんが大きな鼻歌を歌いながらお店から出てきて、白い軽四を吹かしながら走っていきました。ミッション車のようで、クラッチをつなぐときにずいぶん吹かしているようでした。

高知方面にこの駅から出ても、その日には帰って来れそうにありません。現実的には大杉駅から特急で往復し、大杉駅からはタクシーか自家用車を利用するしかないようです。
スイッチバックをして走る列車は見れないけれど、新改駅に行ってみようと久しぶりに根曳峠を目指します。若い時は高速道路も高知-大豊しか開通していなかったので、ほぼ32号線を走っていたのですが高速道路が便利になってからはとんと行っていません。繁藤駅の付近に美味しいソフトクリームのお店があって、子供たちが小さい時に行ったような、行かないような記憶がありましたがどうやら閉店しているようでした。かれこれ15年は経っているので仕方が無いのか・・・、学生時代には営業していたドライブインや喫茶店もほぼ全滅です。時の流れは残酷です。
根曳峠を下り始めたあたりから、新改駅に向かう山道にそれていきます。2車線ながらかなりタイトなカーブが続きます。道路の真ん中にキャッツアイだと思うけど、中央線を示す鋲があってカーブと相まって走りにくいことこの上ありません。ナビが示すちょうど中間点くらいから道幅がおそろしく狭くなります。だれか助手席にでも乗ってくれていれば行けたかもしれませんが、舐めて前進で入ったもののそのままバックで撤退を余儀なくされたことは高知の山道では数知れず。おまけにスタックでもしたら大事だと即時撤退を決定します。写真を撮る気力も湧きませんでした。
とりあえず大田口方面に向かう途中で、繁藤駅に寄ってみます。ここは線路のまわりが開けていて、以前繁藤駅に入線する特急の動画を見たことがあって寄ってみたい気がしつつご縁が無かった駅です。

駅舎の工事をしているのでしょうか、駅は全く利用できません。

右側の通路を通ってホームに出ます。

斬新。

特急列車の独壇場です。下りの列車がもうすぐ来そうです。

高知方面です。

徳島方面です。障害物が少なくすっきり列車が見えそうです。

下りの列車を待っていたのに、高知側に向かって撮影をしようとしていたので慌ててあたふたします。

冬枯れの色の無い世界が、真っ赤な列車で少し華やぎます。

走りさります。
100円ショップで買ったスマホホルダーをトランクで発見したので、三脚で跨線橋から動画も撮影していましたが完全に向きを間違えています。

立派な駅ですが誰もいません。1台車が停まったと思ったらおじさん2人が立ち小便をしてきました。なんてこった。

往時はここで雑貨などを売っていたのでしょうか?

あとで知ったのですが、繁藤駅は木造の駅舎があったのですが昨年撤去されたようです。学生の時に、1度だけ行った記憶があってそのとき歴史のある駅舎と思った記憶があったのですが記憶違いでは無かったようです。
繁藤というと四国最高地点の駅、そして四国でも有数の降水量の土地のようです。大学生の時に先輩の車に乗って繁藤駅の付近を通ったときに繁藤災害のことを聞きました。土砂崩れで線路が流れ復旧作業中にも再度の土砂崩れで多くの消防団のかたが犠牲になられたとのことでした。それほど博識でもなさそうで、そういうことを言いそうにない先輩からの情報だったので鮮明にその記憶が焼き付いています。

慰霊碑がありましたので、手を合わせてきました。線路の横にある公民館のような建物が資料館の様です。地元の人々が守ってきた歴史も土讃線も、消えていしまわないのだろうか。この公園もそして災害の記憶も無くなってしまうのだろうか。などとぼんやり考えながら妻の実家に向かいます。道すがらには崩れ落ちた廃屋などがあり過疎、高齢化という不安が見える形で襲ってきます。

第四穴内川橋梁付近でちょうど列車が来そうなので寄り道して撮影をします。

物凄いスピード走り去ります。
下りの列車を撮影して本日の撮影は終了です。

トンネルから出てきます。

これまた猛烈なスピードです。

橋に吸い込まれていきます。
妻の実家に帰る途中、大田口俯瞰までの道すがら動画を撮影します。
繁藤駅でも感じたことですが、自分自身もあっという間に年を取ってしまいました。結婚したときに元気にしてた義父、妻のほうのおじさん・おばさん、おばあちゃんもすでにいなくなってしまいました。朝、うたた寝をして夢を見ていたようにいろんなことが本当に存在していたのかと思うこともありますが、反面当方の記憶の中にはしっかりその人たちが宿っていることを時たま感じたりすることがあります。
下手な写真、過疎の山村のみすぼらしい風景かもしれませんし、自分自身もいつまで土讃線の景色を撮り続けることができるのかもわかりませんが、誰かの記憶にこの景色が残っていけば良いのかななどと思いつつ、いつのも道を走りました。これからも土讃線の風景を少しでも残していこう、そして少しでも多く長く義母を訪ねること出来たらと思いつつ。