2024年6月8日 JR四国 土讃線・特急南風の撮影に大田口俯瞰をゆく

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本日も妻の実家の高知に来ました。今月は義父の命日なのです。義父は働き盛りで早逝しました。この間妻が、「あの時の両親の年齢にどんどん近づいてきている」と言っていました。

昭和20年代の男性の平均寿命は59歳くらいだったと思います。サザエさんの磯野波平54歳、サザエさんが書かれた昭和20年代だと55歳で会社を退職し、なんだかんだしていると寝込んでしまって60歳前後で、極楽浄土へ旅立つというのがスタンダードだったと思われます。

まさに「人間50年」です。ちなみに敦盛で謡われる「人間50年」は下天という位の低い天(神・仏)ですら1日は50年と何とも長い月日を過ごしているらしい。それに比べると、人間の50年などなんとも儚くちっぽけなものであろうか。と諸行無常を謡っています。

これを菩提の種と思い定めざらん。

ざらん。素敵な響きです。

愛知の田舎ものの、織田信長の幸若舞はドラマで高橋英樹が自信満々で朗々と謡う幸若舞ではなく、このYOUTUBEのような純朴なものでなかったかと思います。私は嫌なことがあると、このYOUTUBEをリピートしています。「いよー」「いやん」という合いの手が仕事で傷ついた心を癒します。

敦盛とは平家物語、源平合戦の話となります。まだ少年の平家の御曹司の敦盛を、源氏の武士・熊谷直実が討ったことの物語です。敦盛を討った熊谷直実は、息子ほどの少年を逃してやれなかった後悔の念から出家し法然の弟子になるという話ですが、実際の直実は身内との相続(領地)争いで幕府に裁定を申し出るなど、俗世での悩みが絶えなかったようです。そういう世事の煩わしさから遁世をしたとかしないとか。いつの世も、とかくこの世は生きにくいということらしいです。

私も俗世から離れ、頭を空っぽにして土讃線を眺めます。こちらからの風景も周りの木が大きくなったりして、以前とくらべると撮影の角度も限られて来ている気がします。それも諸行無常ということでしょう。

いつものポイントに着く前に、上りの南風が来たので撮影します。

下りの南風までにいつものポイントへと急ぎます。

木がどんどん大きくなってきている気がします。

今日は娘のPENでの撮影です。

下りの南風です。

ファインダーを覗いていると、カメラを顔に押し付けているのでカメラは固定していますが、ファインダーが無いので手を前にしての撮影です。今どきの若者はファインダーがあっても画面を見ながらの撮影ですが、慣れていないのでシャッターを押すときに手振れをしているようです。感度設定がうまくできなくて、オート撮影でシャッタースピードも遅かったと思います。

何事も準備が大切なことを痛感しつつ、妻の実家に戻ります。

以前は新聞配達が各戸まで新聞を配達していたようですが、戸数の減少が激しく新聞受けも集約化しています。その新聞受けもだんだん歯抜けになっているのがわかります。

20数年前に、義父の葬儀に参列していた親類やご近所のかたも大半亡くなられているようです。あと10年この景色が残っているのか、自分も元気にここでまた土讃線の撮影ができるのだろうか、そもそも土讃線が存続しているのだろうか、などとぼんやり考えながら帰途につきました。

この景色を守るために何かお役に立ちたい、そう思うものの何をすればよいの分からないのが現実です。少しでも土讃線の良さをお伝えして、特急南風2700系の走りや景色を体感して欲しいと切に思っています。

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この記事を書いた人

オーバー50の四国在住のおっさんです。
愛機オリンパス OM-D E-M5 MarkⅢで
土讃線の鉄道風景をメインにJR四国の鉄道風景を撮影します。

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