滋賀県彦根付近を目指す夫婦旅①(大津をゆく)

(スポンサーリンク)

9月最初の3連休はかねてより湖西線の乗り鉄旅を画策をしていました。妻に連休はちょっと近江に出かけたいと軽く言っていたところ、妻も日曜日の夕方までは全く暇だというので急遽マイカーでの旅となりました。

最終、当日の朝まで湖西線の旅と妻との旅行の両立をシュミレーションをしてみましたが、時間やコストがどうも合いそうに無いので諦めて妻とマイカー旅行を楽しむこととします。

まずは大津で義仲寺へ行くのはマストとして、安土城のあたりを散策しながら長浜を愛でて、彦根で一泊の目論見です。朝の8時に高松を出発し一路京の都を目指します。さすがに3連休、渋滞まではしないものの結構な交通量で高速でも100キロはなかなか出ないくらいでした。鳴門大橋の下り車線では追突した車をよけ切れなかったのか?転倒したと思われるライダーが道路に座っていて、そこを起点に大渋滞でした。大変だなあと思いつつ、こちらは先を急ぎます。

京都付近のインター近くは大渋滞です。京都を抜けるのに1時間程度かかりました。おそらく新幹線でも人が集まっているのに、これだけのマイカーが京都に入ったらもう身動き取れそうにありません。オーバーツーリズムが問題になっていますが、おもてなし=安い国、日本になっているなら相応の対価はもらって、それでも来たいという人を受け入れていくようにしなければならないのかもしれません。

当初、ナビでは11時過ぎに到着予定でしたがたっぷり4時間かかって大津に到着です。おなかが減ったので、妻が琵琶湖を見ながらハンバーグを食べられる店を探してくれたので行ってみます。

海水浴ではなくて、湖水浴場と思われる場所にお店を発見。

早速、近江牛を堪能します。

近江牛のハンバーグセット、デミグラスソースです。ダブルを頼もうとしたら、妻から節制をするように言われ渋渋シングルを頼みます。結果、シングルで十分でした。おなかも落ち着いたので周りを散策します。

何やら灯篭があって、夜のイベントに備えて若者が忙しくしております。

琵琶湖越しに比叡山方面を眺めます。現代でも京都に入るには道が限られており、渋滞するくらいだから戦国時代などはここを押さえるものが京都を制すると言っても過言ではなかったのだろうと、古に思いを馳せます。

ここから義仲寺に向かいます。義仲寺は木曽義仲の墓があるお寺で、あの松尾芭蕉が木曽義仲と同じところに眠りたいと遺言したとかしないとか。一度一行ってみたいと思っていた場所です。

思ったよりこじんまりしています。

門をくぐって、拝観料を支払います。事務所の女性が、展示物等の説明を丁寧にしてくれました。

奥のバナナのような木が芭蕉だと思われます。

本堂にお参りをします。

木曽義仲は武勇に優れ、情にも厚い人物だったようです。妻がひとしきり調べて熱心に教えてくれました。妻曰く、今回の旅で一番よかった場所とのことです。結局は生存者バイアス、勝ったものが歴史を作るので木曽義仲も野蛮であるとか、木曽の田舎者という印象操作がされているのかもしれません。

こちらは翁堂です。

そして松尾芭蕉の墓です。

コンパクトなお寺ですが、この寺域は時間がゆっくり流れている感じです。まさに古に思いを寄せながらじっくりと堪能いたしました。すっかり満足したので、次は長浜方面へと向かいます。長浜の海洋堂のフィギュア博物館にも、前々から行って見たいと漂泊の思いを寄せておりました。

長浜に向かう道中、木曽最後の話を妻にします。

馬をぬかるみに入れて身動き取れないままに討ち死にした木曽義仲。その死を知って今井四郎が自害した話を妻にします。

「今は誰をかばはんとてか、いくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。
さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。

東国の武者ども、これが日本一の武士の死に様よと、刀をくわえて自害した悲しい話だったことを説明しておきました。妻からは、そういう辛気臭いところばかり行きたがるとやんわり批判を受けましたので、「すべて諸行無常」とだけそっと反論しておきました。

ここから2時間弱、琵琶湖の縁の田んぼの中を走って長浜を目指します。長浜編に続く。

(スポンサーリンク)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

オーバー50の四国在住のおっさんです。
愛機オリンパス OM-D E-M5 MarkⅢで
土讃線の鉄道風景をメインにJR四国の鉄道風景を撮影します。

コメント

コメントする

目次