ここからは、横須賀方面に向かいます。相応に乗車はしていますが、座れました。四国在住の田舎者には、横浜と横須賀の区別はつきません。すぐに着くものかと思っていましたが、45分くらいかかります。鎌倉、逗子など聞いたことのある地名が並びます。ああ、ここがまさに「鎌倉殿の13人」の舞台になったところなのだと気がつきます。分かったようで、分かっていなかったというか現地に行って見ることで得るものがあるのだと感じます。
横須賀駅に到着します。香川県は連日37度と馬鹿みたいに暑かったのですが、こちらは33度くらいでした。
横須賀駅に近づくと、イージス艦や護衛艦が見えます。これは「いずも」です。中国が日本が空母を持ったと言っていますが、見てみると確かに空母です。大東亜戦争で日本が保有していた空母より、スケール的には大きい艦船です。
こちらはイージス艦と思われます。
タクシーをつかまえて、私が長年行ってみたかった三笠記念館へ行きます。三笠と言えば、日露戦争の日本海海戦の旗艦となった艦船です。「坂の上の雲」に出てくる四国・伊予出身の秋山兄弟の弟、秋山真之が有名です。
東郷平八郎司令長官です。日本海海戦では微動だせず立ち続け、海戦が終わった時にその足跡の所だけが濡れていなかったという逸話のあるほどの人物です。
大東亜戦争敗戦後に、ソ連からは三笠の解体の要求があったようですが、上甲板の構築物の撤去を条件として保存を許されたそうです。
この艦橋や主砲は戦後に復刻されたもののようです。
下の部分は、往時のまま現存されているようです。展示されていた三笠の艦首についていた菊の紋章を見ていると、ガイドのおじさんが「日本人がダメになって、この紋章の金箔を剥がした」と教えてくれました。日本人がダメになったのかどうかは分かりかねますが、戦争で社会秩序が破壊されたことも、人の心が荒む要因であったんだろうなあと思いました。
1時間ほど、娘と堪能しました。娘は退屈するのかと思いましたが、眺めが良かったり風が気持ち良かったり、予想に反して面白かったらしいです。そこそこ、良い時間になりましたので横須賀駅に戻りいざ東京都内に向かいます。
なかなか解放感があります。ああ、夏休みと歌いたくなる風景です。
ホームも、解放感あります。町は米軍もあるので、看板が英語の店もあり異国情緒が漂います。
娘曰く、戸塚で乗り換えをしてあとは上野東京ラインに乗れば上野まで行けると教えてくれます。「上野東京ライン、朝はマジやばいよ。東京の電車はほんまに怖いよー」とずいぶん言われていたので、上野東京ラインと言うだけでビビりまくっていました。戸塚駅で乗り換えをしたのですが、横浜駅までは座れず。横浜駅で大量に人が降りたので座れました。「時間が時間だからそこまでは、混雑しないから大丈夫だよ」とリアルおじいちゃん的に娘に労わられつつ、横浜駅で別れを告げます。
娘が言った通り、それほどは混むこともなく上野駅に到着。乗ってきた列車を撮影します。
混んでいないと言っても、10両近い車両がまあまあ人がいます。「これだけ人がおったら、美男美女も天才も、スポーツ万能もようけおるわな」と讃岐弁でつぶやきたくなります。
今日もそろそろエンディングを迎えようとしています。汗だくだくなので、とにかくホテルにチェックインをしてシャワーを浴びてひと眠りをしようと駅出口に向かいます。
改札を出るとパンダがいます。そうか、上野公園はパンダがいるところか。
立派な駅舎です。
駅からホテルに向かいます。立ち飲み屋などがあって、もう一杯やっている人たちがたくさんいます。ホテルは飲み屋街の中で、息子と適当に呑みに行くには最高のロケーションです。
その後、ホテルの大浴場でひと風呂あびて仕事終わりの息子と8時前に合流。焼き肉を食べて、解散。10時過ぎにはホテルに帰って、気絶するように眠りにつきました。
その⑤につづく
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