ここからは、山陰本線から伯備線の旅です。特急やくもは、出雲市駅が始発なのですがそれも本日初めて知りました。ずいぶん昔に、やくもで来たのは松江までだったのでてっきり、県庁所在地の松江が終着駅だと思っていました。
帰る列車は14:37発の「特急やくも22号」です。なんだかんだと、最短乗り継ぎから2時間遅れです。お土産も買ってやることも無いので、早々とホームに上がります。
出雲市まで乗車してきた、スーパーおきと同じキハ187のスーパーまつかぜです。当初は、山陰本線乗りつぶしを優先するために、これで鳥取まで行って智頭線をスーパーはくとか、スーパーいなばで上郡まで行って帰るという計画も考えましたが、流石に次の日の仕事のパフォーマンスに影響が出るだろうということでNGとなりました。
駅標も神在の地、出雲らしいセンスです。
やくも22号が入線してきたので、回送列車と並んで撮影をしておきます。車両については、あまり詳しく無いのでここ最近新型車両が導入されたくらいしか知識がありませんが、茶色の車両はなかなか斬新です。
7号車に乗車します。休日だから8両編成でやってきましたが、出雲市駅では8号車・7号車ともに1人づつしか乗車しませんでした。
とりあえず出したり引っ込めたり。足元も、広々です。誰も乗ってこないし、間違ってグリーン車に乗ったのかと心配になるぐらいでした。
発車してから撮影しましたが、松江までこの状況だった気がします。以前の山陰旅で乗車した、はまかぜ並みの貸切状態でした。そっと、ベルトを緩めズボンのチャックを開けて解放感を楽しみます。
スマホの充電ができます。ディーゼル車なら、バッテリーを使わせてもらってすみません的に遠慮がちになりますが、電車だと電線につながっているので罪悪感はありません。こんなことを考えるのは、いまだディーゼル王国の四国の人間だけかもしれませんが・・・。
車窓からは宍道湖が見えます。子供が小さい時に、私の両親と山陰旅行をしたのを思い出します。米子・皆生温泉、玉造温泉に泊まりましたが、宍道湖のほとりを車で走った時の景色を思い出しながら車窓を愛でます。次は琵琶湖のほとりを走る旅をしたいものです。
松江、安来を経て米子駅に入線します。さすが山陰本線随一のターミナル駅です。ここから、かなりの人数が乗車してきます。ここも、時間があれば一度じっくり駅の周りを歩いたり、駅撮りをしてみたいものです。
米子駅を発車すると、やくもは岡山に向けて伯備線に分かれていきます。右側に伯耆大山が見えます。岡山に勤務をしていた時は、蒜山や大山には子供を連れて季節折々に行ったのを思い出します。登山を趣味にされている人が、結構周りにいて「三平山」なら子供も喜んで登れるくらいの山だから行ってみれば。と言われたので、家族みんなでスウェットとサンダルみたいな軽装で三平山に登山に行きましたが、じつは1000メートル級の山で山頂はすごく寒いし皆さんちゃんとした登山の恰好をしていて、登山者からドン引きされたのを思い出いしました。あれも、遭難しなかったから笑い話ですが遭難でしてた大バッシングだったと思います。妻も「私なんて完全に街にお買い物いくスタイルで、普通のお買い物様のバックを下げてたから、場違いすぎて視線が痛かった」と言っていたなあ・・・。(遠い目)
懐かしい大山を愛でていると、列車は伯耆大山駅から伯備線に入ります。この周辺は、やくもの旧型車両の撮影をする撮り鉄のマナーが悪いとたびたび世間を賑わしたところです。撮影に邪魔になる柿の木を勝手に切られた、私有地に勝手に入られたなど地元住民とのトラブルや、マナーの悪い撮り鉄が列車の運行に支障をきたしたりしました。
私も写真が趣味ですので、いい位置でじっくり撮影をしたい気持ちはわかりますが列車を停めたり、地元住民の生活を脅かしてまで撮影をしたいとか、良い写真を撮りたいから仕方ないだろう的な主張を正当化するのはどうかと思います。いつも思うのですが、例えば阿波踊りの桟敷席のように費用を払ってお立ち台を確保するとか、行政やJR主導でお互いがウインウインになる形が取れないものかと思います。線路際が草で線路も見えなくて撮影しても足回りが写らないとか大変な状況になっているので、撮り鉄のボランティアで撮影したい場所の草刈りをして、草刈りに参加したした人は優先的に撮影のポジションを確保できるなど撮り鉄と鉄道の在り方も含めて良いサイクルが構築できないものかと思います。
外国人のインバウンドと一緒で、鉄道という資産で地元以外から人を誘致して鉄道の維持と、地元を活性化するような仕組みづくりが出来たらいいなあといつも思います。
大山のあたりは雨は上がっていましたが、岡山の山間部は雨。川面に霧がはったような景色が続きます。この間行った、新見駅です。備中高梁も子供が小さい時に行きました。「男はつらいよ」の寅さんの義弟のひろしの故郷が高梁です。設定では、岡山の山中の小さな町ということでしょうが、四国の山中の駅と比べれば大きな駅です。本州の人にすれば岡山の山中はまだ、日本の田舎を想像できるけど四国というと牧歌的すぎて、かえってリアリティーに欠けるということなんだろうなあ・・・、などと考えているうちに列車は倉敷を走ります。
私は椎名誠が好きで、旅の本を列車旅などで読むことが多かったのですが氏が「倉敷は今日もウスラバカだった」と書いていたのを思い出しました。内容は忘れてしまいましたが、何かハリボテ観のある浮ついた感じが自分には合わない、というような内容だったかと。おそらく大々的に国内旅行のキャンペーンを、大手旅行業者がメディアを利用してやっていたのでそれに対しての批判的な立ち位置もあったのかなあ、などと適当なことをまた考えていました。行きのマリンライナーで読んだ新聞の下ところに、椎名誠氏の新刊の広告があったのでそれを脳が覚えていたようです。
あれこれ、よしなしごとを考えているうちに、岡山駅に到着です。新型やくもでの、伯備線の旅も終わりを告げ、2日間の旅もフィナーレを迎えようとしています。
マリンライナーとの接続は20分程度です。マリンライナーが混んでるようなら、宇多津までこれで行こうか?と思っていましたが、マリンライナーの自由席もほとんど並んでいないのでマリンライナーで高松に帰ることに。
マリンライナーは自由席ですが、窓際をゲット。さすがに疲れてウトウトしているうちにあっというまに高松駅に到着。
ここ最近、マリンライナーにはお世話になりっぱなしです。あるがとう、マリンライナー。
高松駅の写真を撮ります。いい具合にぶれました。モザイクとか処理は不要です(笑)
充実の2日間が終わりました。四国から山陰・山陰、そしてまた山陽、そして四国と周り周ってさすがに方向感覚と時間の感覚がおかしくなっていました。広島で会った友人からも、まるで夢のような時間だったとメールが来ていました。彼も私と同じように数百キロの距離、数十年の時間が、この2日間で凝縮して一瞬でもタイムスリップしたような感覚になったのかなあと思います。うまく言えないけど。まあ、これだけ遊んだら誰でも疲れるわな。ということだとも思いますが。
でも、いつもは意識はしていなかったけど親友と大学時代に育んだ友情や思い出は血となり、骨となり自分の人生に刻みこまれていることを実感しました。また、しょーもない話をするためだけに友に会いたいものです。
こうして、晴れの国・山陽本線から山陽新幹線、スーパおきでゆくレイニー山口線・山陰本線から特急・やくもで雨の伯備線をゆく旅は、無事フィナーレを迎えたのでした。
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